walk

芦野八景をめぐる

 

 

 

芦野には、芦野宿とその周辺に八つの景勝地があり、芦野八景と呼ばれていました。その景勝地とは、鏡山(かがみやま)、遊行柳(ゆぎょうやなぎ)、片葉葭(かたはよし)、駒の石橋(こまのいしばし)、愛宕山(あたごやま)、八畳石(はちじょういし)、因幡山(いんばやま)、明星水(みょうじょうすい)のことをいいます。

現存するものは、鏡山、遊行柳、明星水、片葉葭のわずかに5つとなりましたが、里山の原風景を眺め、当時の様子を思い浮かべながら歩いてみるのもオススメです。
まずは現存するスポットから順にご紹介します。

 

鏡山(かがみやま)

鏡山は上の宮湯泉神社の背後にある石山のことをいいます。岩が鏡を立てたようであるからとも、またその形が鏡餅に似ているからともいわれています。遊行柳とその背後にある鏡山の遠近描写による景観は、里山の美しさを際立たせています。境内にはケヤキの大木が二本と文化財のイチョウ(町指定・天然記念物)があります。イチョウは、樹高35m、目通り6.1mの巨木。四季折々に見せる遊行柳と鏡山の色彩は、今でも芦野を代表する絶景です。

 

遊行柳(ゆぎょうやなぎ)

遊行柳の遊行とは、もともと時宗という宗派の上人(お坊さん)のこと。藤沢にある遊行寺の歴代の住職が巡教で必ず湯泉神社を参詣に訪れたことに由来します。今は遊行柳で句を詠んだ松尾芭蕉の「おくのほそ道紀行」が有名となりましたが、もともとは謡曲に「遊行柳」というのがありました。しかし謡曲の印象は時代とともに薄れ、芭蕉が詠んだ柳のイメージが定着したようです。芦野の遊行柳は西行、芭蕉、蕪村の著名な文人によって、一躍世に踊り出たといえるでしょう。今も多くの俳人や観光客が、芭蕉の面影を探しに芦野にやってきます。

 

愛宕山(あたごやま)

愛宕山は、現芦野基幹集落センターの裏手にある小高い山のことをいいます。古くは愛宕神社が鎮座していた場所といわれています。この山の麓に兼載松(けんさいまつ)という地名が残っています。これは戦国時代に会津出身の連歌師、猪苗代兼載(いなわしろけんさい)が仮住まいしていたことに由来します。松尾芭蕉と旅を共にした河合曾良(かわいそら)の日記にも「畑岸に兼載の松というのがある。」と記されており、兼載の名を冠した松がそこにあったようです。
愛宕山は芦野の城である、御殿山から城下町を見下ろすと、すぐ目の前に見える場所に位置しており、芦野八景に選ばれています。

 

明星水(みょうじょうすい)

地元では「みょうどせ」とも呼ばれています。昔、足利鑁阿寺の義兼上人がこの地を訪れたとき、大猿によって導きかれた場所に、勢いよく噴出する泉があり、光輝を放っていたそうです。この麓には芦野宿に移される前まで明星院三光寺がもともとあったとされ、現在もその跡地が残されています。明星院三光寺の院号「明星」はこの地に由来しています。明治の頃、この場所は芦野石の採掘が始まり、近年まで続けられていたため、山と周辺の形状は大きく変わってしまいました。明星水は現在も湧出しており、2011年頃までは麓の民家の飲料水として利用されていたそうです。

 

片葉葭(かたはよし)

片葉葭は、一方に3枚の葉をつけた葭で、別名筆立葭(ふでたてよし)ともいいます。遊行柳の清水流れる岸辺に自生していましたが、今は菖蒲川沿いにわずかに残っているだけです。名草の一つとして遊行柳の流れとともに残していきたい場所です。

 

駒の石橋(こまのいしばし)

駒の石橋は、字古新町にあった石橋で、源義経の愛馬の蹄痕があったとされていますが、圃場整備により、その姿を見ることはなくなりました。一説には横町付近にあったとも言われています。

 

八畳石(はちじょういし)

八畳石は芦野氏が山城にしていた、館山城跡の麓にあった屏風岩で、平面二間四方の大岩だったそうです。明治23年(1890)に芦野小学校建設の時、その礎石となったため、現在は残されていません。芦野小学校は当時、御殿山・芦野城三の丸にあたる現在駐車場の地にありました。その後大正14年に現在の芦野基幹集落センターに移りました。

 

稲葉山(いなばやま)

稲葉山(因幡山とも)は館山の南に位置している山で、ここからの眺望は絶景と伝えられていましたが、今は採石場の影響もあり、表土は削られてその面影はありません。

 

 

今様八景は、鏡山(上の宮湯泉神社とイチョウ、峻立した大岩)、遊行柳(柳と芭蕉句碑、西行歌碑、蕪村句碑)、御殿山(桜と高野槙)、館山(岩肌と城跡)、堂の下の岩観音(峻立した岩肌とエドヒガン)、芦野富士(その形容)、夫婦石(大岩と伝説)、健武山湯泉神社(産土神とオオスギ)あたりになりそうです。

関連記事

遊行柳 – 多くの歌が詠まれてきた歴史ある那須の名勝地 –

関東最北の宿場町として栄えた芦野は、奥州街道を行き交う旅人を受けて入れてきた里山です。 どこにでもありそうなこの田園地帯を特別な場所にしているのは、 1本の植え継がれてきた柳の木。 歌枕の地として広く知られるようになった […]

PageTop