関東最北の宿場町として栄えた芦野は、奥州街道を行き交う旅人を受けて入れてきた里山です。
どこにでもありそうなこの田園地帯を特別な場所にしているのは、
1本の植え継がれてきた柳の木。
歌枕の地として広く知られるようになった「遊行柳」の名は、
藤沢にある遊行寺の歴代の住職が巡教で必ず参詣に訪れたことに由来します。
推定樹齢400年といわれる大イチョウが鎮座する湯泉神社の参道入口にあり、
緩やかな里山の風が柳の枝をゆらす、心安らぐスポットです。
芦野石の玉垣をめぐらせた柳の傍らには、
西行に憧れていた松尾芭蕉や与謝蕪村の句碑があります。
奥の細道を著した芭蕉は、那須湯本の殺生石を訪れたあと、遊行柳に立ち寄り、この句を詠みました。「西行法師がしばし立ち寄られた柳の木陰で感慨にふけっていると、いつのまにか早乙女たちが一枚の田植えを終えていたので、我に返って自分もここを立ち去ることにした」という意味の歌です。
芦野は当時、19代当主で俳人でもあった蘆野資俊(あしのすけとし)が統治しており、芭蕉とは師弟の関係でした。
資俊が芭蕉に「芦野にある柳の木をぜひ見てほしい」と伝えたという逸話も残されています。
長い歴史を積み重ねてきた柳の木。一見、何も特別な場所ではないように思えるけれど、
この場所に立つとどこか体がふわりと軽くなる気がするのはなぜなのか。
経年で渋みを帯びた玉垣と鳥居の佇まい。上の宮と呼ばれる湯泉神社の社殿へと
続く参道の静寂さが、往時のゆっくりとした空気を今も運んでくるからでしょうか。
芭蕉が一時、旅の時間を忘れて木陰に座していたのも、ちょっぴりうなずける気がしてきます。
芦野には観光地巡りという言葉があまりしっくりきません。
点と点を車で結びながら観光するような旅には、あまりにも小さい里山です。
けれど、畑や田んぼで農作業をするおばあちゃんや、
季節の花々を楽しみに訪れる人たちと挨拶を交わせるお散歩旅が魅力です。
広大な水田の脇や城下町の面影が残された町中を歩けば、
地に足のついた里の日常を垣間見ることができます。
遊行柳は芦野のシンボルとして、長く人々の往来を見つめてきました。
奥州街道を渡ってきた人たちが芦野で出合って交流し、再び別れていく。
多様な文化や人をつなぐ場として、昔から人々は遊行柳を目印に
足を止めてきたのではないでしょうか。
「どうぞここで思う存分楽しんでください」というアトラクションもいいけれど、
たまには自分で歩けば歩くほど小さな発見のある旅を楽しみたい
遊行柳のすぐ近くには、休憩所と食堂、農産物直売所が一体となった施設「遊行庵」があります。
芦野散策の際に立ち寄ってみてください。
毎年6月には紺のかすりに茜だすきを掛けた早乙女姿の女性たちが、田植え唄に合わせて早苗植えをする「芦野の里の田植え祭り」が開催されます。
自分の故郷のように芦野に来て一緒に田植えをしてみるのも、旅の楽しみになるでしょう。