巡幸と芦野
明治天皇が巡幸された芦野
明治維新という大きな時代の変革は、ここ芦野にもさまざまな歴史を刻みました。そんな激動の時代に思いを馳せ、明治天皇が東北巡幸のために訪れた芦野のスポットをご紹介します。
明治の時代とともに天皇を中心とする政治体制の整備が進んだとはいえ、まだまだ世情不安は続いていました。身分制度の改廃により、今まで特権階級にあった武士が反乱を起こすなど、急激な近代化に対する逆風が吹き荒れたのです。そこで、日本の近代化を進めた明治政府には、人心の統一と政治の安定を図ることが必要でした。
明治天皇が日本の各地を計6回巡幸されたことを「六大巡幸」といいますが、これは国の急激な近代化によって動揺した国民を、ひとつにまとめるための政策でもありました。このうち東北への巡幸に際して、天皇は芦野を訪れています。当時、天皇と身近に接することへの国民の喜びと畏敬は、想像を絶するものがあったようです。
夫婦石から芦野宿へ
東北巡幸のため皇居をご出発になられた明治天皇は旧奥州街道を通り、明治9年6月12日に芦野に入られました。黒川地区から黒川を渡って夫婦石でお休みになられ、夫婦石の御野立所から田植えの様子をご覧になったといいます。集落の南にはこれを記念して「明治天皇天覧田植処之碑」が残されています。
その後、芦野宿に入られた天皇は、戸村謙橘宅にお泊りになりました。翌日に芦野宿を出発されると、横岡地区(峯岸、高瀬、板屋)や寄居を通り、白河へと向かいました。
現在、峯岸に建つ岩倉右大臣歌碑には「山深くて民の家屋もむづかしげなるわら屋ばかりなれども軒毎に旗立てゝ行幸をことほげたるさまなり」と当時の様子を記しています。
明治天皇も召し上がった?高瀬集落と横岡米
高瀬集落にある渡辺兼蔵宅(現在の渡辺隆夫宅)は、明治天皇がお休みになったといわれています。渡辺宅には板に御膳水と書かれたものが残されており、御膳と湯茶を召し上がられたそうです。このとき、献上したものが「横岡米」と言われています。横岡米は餅米の一種で黄金餅と呼ばれる種。赤飯などに加工したものが献上されたそうです。横岡米は現在、那須ブランドにも選ばれています。
明治天皇は明治9年と同14年(往路を含め)の三度、芦野を訪れています。その足跡と辿りながらの史跡巡りに出かけてみませんか?
明治天皇巡幸の記録
<1度目の巡幸>
明治9年6月2日 皇居を御発駕
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明治9年6月12日 佐久山町印南金三郎宅御発輦
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大田原町益子甚四郎宅御小休
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乙連沢御駐輦
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越堀藤田光三郎宅御小休
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夫婦石御小休
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中町戸村謙橘宅行在所御駐輦
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明治9年6月13日 同所御発駕
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高瀬渡辺兼三宅御小休
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寄居佐藤勝次郎宅御小休(柏屋)
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白河行在所御駐輦
<2度目の巡幸>
明治14年7月29日 皇居御発駕
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明治14年8月6日 夫婦石御小休
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中町戸村謙橘宅行在所御駐輦
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明治14年8月7日 同所御発駕
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山中鈴木清次郎宅御小休
<2度目の還幸>
明治14年10月6日 白河行在所御発駕
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山中鈴木清次郎宅御小休
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中町戸村謙橘宅行在所御駐輦
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明治14年10月7日 同所御発駕