芦野で農業を営む大平和子さん。国道294号沿いにある芦野の遊行庵直売所の組合長を務めています。結婚を機に芦野に来てから、里親として子どもたちを育て、農家として野菜づくりをしてきました。人口減少や農業の担い手不足などの課題を抱える里山。元気な笑顔が印象的な芦野の母さんが、持続的な芦野の未来を見つめています。
黒磯の農家の次女として育ったんですけど、22歳のときに結婚して芦野に来たんですよね。農業高校の生活科で調理実習をしたり被服の授業があったりと、花嫁修業みたいなことしていて。もともと小学校4年生のときから家のご飯を作っていたから、友達と遊んでいても、夕方になると親に呼ばれてね。お風呂沸かして、洗濯物入れて、夕飯の準備をして。そんなこと子どものときからずっとやってきたの。だから料理つくるのは慣れているのよ。結婚した頃はお金もなかったし、外食なんてできないから、家で寿司を握ったりね(笑)
時間を短縮することをいつも考えているから、仕事を段取りするのは得意で。それが今も活きてますね。
子どもが3人生まれたんですけど、事情があって親戚の子も2人預かることになって、当時は子どもが5人いたのよね。夫が石材業をやっているんですけど、子どもの学費も掛かるし、自分は畑をやろうということで、最初に「那須の美なす(ビーナス)」という品種の茄子を栽培したんですよね。ばあちゃんとじいちゃんにも手伝ってもらって。それを9年つくったかな。うまくできない原因をいろいろ研究し、改善して。そのうちホテルに野菜を卸したり、農家として那須町の広報に載ったり、農業委員をやってくれと頼まれたり。いろいろ経験させてもらいましたよね。
当時野菜を卸していたホテルでバイトもしていたんですけど、親戚の子を預かった経験から里親を引き受けることになり、本腰入れなきゃと思ってバイトを辞めたのよ。最初は男の子を預かって高校を卒業させて就職したの。それで今度また別の子が中学3年生のときに来たんだけど、これが手の掛かる子でね(笑)
子育ての考え方の違いで、よく夫婦げんかもしましたね。その頃から野菜もいっぱいつくるようになってたから、畑と里子を育てていたって感じ笑
そうして35年間、芦野で過ごしてきたから、ほんとバタバタでしたね。
―現在は芦野の遊行庵直売所の組合長をやられているんですよね
そうですね。会員は18人いて、平均年齢が72歳くらいかな。私が一番若手なんですけどね(笑)それで町との連絡をしたり、花壇に野菜を植えて、欲しいお客さんに販売をしたりしています。
この場所はもともと無料休憩所が最初にできたんです。それで当時農協の芦野支所の方が段取りをしてくれて、休憩所の軒下を借りて野菜を販売をしていたんです。それから直売所と食堂をつくろうということになり、現在の遊行庵ができました。ただ、芦野をもっと盛り上げていかなくてはいけないということで、これから建て替え工事がはじまることになりました。
現在の直売所は白河方面からはお店が背を向けている形になるので、建物を休憩所と一列に並べて、白河と黒羽からも入りやすいスペースを作りましょうということになりました。組合の農家さんは高齢化が進んでいて、後継者が不足していますが、直売所にお客さんが増えてくれば、新たに野菜を卸したい人も出てくると思います。自分の野菜が外から来たお客さんに売れると、嬉しくってみんな野菜を出すようになるんですよね。野菜が売れてお金が入ると、そのお金で孫にいろいろ買ってあげることができる。そんな流れができればいいなと思います。休憩所や食堂もお年寄りが来てお茶を飲んだり、お子さん連れのお母さんが立ち寄って交流できるような場にしたいです。建物が建ったらいろいろ考えていきたいですね。
それから芦野の町中には、石の美術館「ストーンプラザ」や江戸時代に旅籠だった「うなぎの丁子屋」などのお店、歴史のある3つのお寺、回遊できる美しい竹林などがあるので、そこを歩いてもらえるように、芦野石を使った石畳の歩道を整備することになりました。那須に来たお客さんに、「もうひとつの那須」として、芦野を回ってもらおうという構想なんですよね。最初はいろんな意見が出ましたが、やるからには人が訪れて魅力を感じる町にしたい。これからみんなで頑張ろうと思っています。「なすまっち」のサイトでみんなに楽しいことをアピールしてくださいね(笑)