大島畳工業は芦野で4代続く畳屋さん。時代の移り変わりとともに畳へのニーズが変化するなか、4 代目の大島一行さんは国産いぐさにこだわりながら畳を作り続けています。
生産現場であるいぐさ農家から消費者へと届けられるまで、畳屋にできることを探り続けて見えてきたものとは何か。お話しを伺ってきました。
畳屋として国産いぐさにこだわる訳
曾爺ちゃんが芦野で畳屋を始めたんで、もう90年くらいになるのかな。自分でちょうど4代目になりますね。でも今、まわりの畳屋さんを見渡すと、後継者がいない所も増えてきたんで、これからほとんどいなくなっちゃうのかなと思って、気になりますね。
ちょうど茨城に畳の訓練校があったんで、自分は高校を卒業後そこで2年間住み込みで修行をして、20歳から家で働き始めたんですね。そうして働いていると、けっこういぐさの質が低いものが出回っているなと感じたんです。
他の業種でもそうですけど、畳も価格競争になってくると、自然と安い海外産のいぐさを使わざるを得なくなってくるわけじゃないですか。でも国産のものと比べると匂いも良くないし、肌触りもガサガサしています。しかも日本のいぐさ農家さんは安い海外産に押されてどんどん減っている。
だから自分はストレートに国産のいぐさをお客さんに勧めたいなという思いがあったんですよね。安いいぐさを使っている工務店さんはいますけど、自分は違うなと思って。
そう思っていたら、訓練校の周年行事で隣に座った先輩が、やけにいぐさに対して熱い人で(笑)数年後に、国産いぐさで有名な熊本に一緒に行くことになったんです。それが今から8 年くらい前ですね。
実際、現地に行っていぐさ農家さんに話を聞くと、もうすぐ農家もなくなっちゃうよと言うんです。最初に熊本に行ったときは600軒くらいの農家さんがいたんですが、今は480軒くらいになっていますから10年経たないうちに100軒以上辞めているんです。後継者があまりいないので、どんどん減っていきますよね。
で、これはまずいなと。こういう現状を一般の人にも知ってもらいたいですし、自分のような畳屋が何かやらないとダメだなと思ったんです。
今までの流通だと、いくら質のいいいぐさでも問屋さんの入札で買い叩かれちゃうんで、農家さんがあまり儲からない仕組みになっている現状があって。だから畳屋が農家さんから直接仕入れることで農家さんの収益も上がるんですよね。そんな動きが最近出てきています。
具体的にいうと、自分は先輩がリーダーになって立ち上げた「畳屋道場」というグループに所属しています。北は秋田から盛岡、西は大阪、屋久島など、全国にある17 軒の畳屋が所属しています。
「畳屋道場」に所属するお店も国産の良質ないぐさを使った畳を、継続的な仕組みで売っていこうとしています。
※畳表(たたみおもて):畳の表につける、いぐさの茎で織ったゴザのこと。畳表を作るまでがいぐさ農家さんの仕事になる。
確かなものをつくりたい。その思いが畳の未来を変えていく
——熊本に行ってどんなことをするのですか
われわれが熊本に行くと、必ず農家さんの家に泊まらせていただいて、農作業のお手伝いをしてくるんです。植え付けと収穫の時期に行くんですが、メインは収穫が一番大変なので、とくにその時期に行きます。自分でもまだまだ分からないことがあるので、毎年行くようにしているんです。
熊本の八代という地域なんですけど、もう現地の地図も頭に入っているし、行けば「こんにちは、来ました」って言える感じなんで。今までは生産者と畳屋が触れ合う機会なんてなかったわけじゃないですか。だから気づいたことも農家さんに直接伝えやすいんです。たとえばいぐさにキズとかがあっても「こうでしたよ」ってダイレクトに言えるからお互いにとってもいいですよね。野菜と同じで生産者の顔が見えるというか、ちゃんと誰が作ったいぐさなのか把握しているから、自分としても安心してお客さんに勧めることができると思います。
——国産いぐさの畳をお客さんに勧めていく中で、実際の反応はどうですか——
お客さんの中には畳はすべて国産だと思っている人もいますけど、実は8割が海外産なんですよと言うと、びっくりしますね。最近は畳がどうやって作られているか分からない方も多いんで、こちらがいぐさや畳について説明をすると「あ、そうなんだ」と関心をもってもらえます。
そこは今よりもニーズの多かった父の年代ではなかなかやってこなかった部分だと思います。いぐさや畳というものに対して、安い値段だけではない国産の品質やストーリーをお客さんにしっかりと伝えていくことが、今の時代に必要なことなのかなと思います。
サンプルの畳表をいくつも実際に見てもらったりして、その上で見積もりを取らせていただくと、最初は「何でもいいよ」と言っていたお客さんでも、やっぱりその価値を分かって選んでいただけるので。
もちろん、今までお付き合いのあった工務店さんに、値段が高いという理由で切られたこともありますよ。でもそれは仕方ないと割り切っています。自分がそうしたいと思って始めたことなんで。
逆に国産いぐさを使うことを理解して、少しずつ取り入れていただいている工務店さんもあります。いぐさ農家さんの現状や国産の品質を伝えることで、分かってくれる人はいますし、徐々に変化してきたなと感じています。自分もいい素材のものを使って畳を作りたいですし、畳屋としてそういうことを打ち出していくことで、まわりと差別化することも大事だと思っていますね。
技術の伝承を視野に、畳職人としてできること
今は畳職人が仕事として成り立っていますけど、数十年経つと、もしかしたら伝統工芸になってしまうという人もいるんです。そうなると畳を作れる職人が貴重な存在になっちゃうし、流通もしなくなるのでまずいわけです。一般の仕事として成り立たないわけですから。
だから「畳屋道場」では技術の伝承も大事にしているんです。たとえばお客さんの前で畳を張り替えるイベントを熊本の神社などで開いたり、ボランティアで現地まで行ってPR 活動をしてきました。
今度、アメリカにある茶室の張り替えに行くという話もあります。アメリカにも畳が好きな人が結構いて、立派な日本庭園があるんです。だから畳を日本から輸出はするんですが、それを現地でメンテナンスする人がいない。ならば、海外に行ったときにまとめて何軒か回れば、旅費も抑えられるかなと思います。現地の人も日本から来た職人に張り替えてもらったら、喜んでくれますよね。
——日本の文化に関心がある海外の人が増えている気がします——
今度「TATAMI-TO(タタミト)」というブランドが立ち上がったんですけど、「TATAMI-TO」のWEB サイトから海外の人に向けて日本の畳文化の発信をしていくことになっています。
「TATAMI-TO」とは「畳屋道場」の活動に共感していただいた、CMディレクターの今村直樹さんがきっかけとなりスタートしたプロジェクトです。今村さんはオフコマーシャルといって、面白い活動をしている人や団体に対して、無償で映像を制作して応援する活動をしています。それでいぐさの産地に一緒に行って映像を撮影したんですが、畳屋も世界にアピールできるかっこいいブランドを作ろうとなり、誕生したのが「TATAMI-TO」です。畳とさまざまな分野のクリエイターとのコラボレーションを意味する合成語として作られました。これから日本の畳が世界で新たな需要を切り開くことを目指してやっていこうと。
こんな感じで、地道な活動が枝分かれして、新しいつながりが生まれてきています。畳屋さん同士もモチベーションが上がってきますよね。やってきたことが間違っていなかったのかなと。畳業界としては厳しい時代ですけど、何もやらなかったら何も変わらないですし。自分たちがやることで、まわりの畳屋をざわつかせたいというか(笑)
——最後に芦野についての思いをお聞かせください——
現状を保つだけで精一杯なので、これから新しく町として発展しようというのは、なかなか難しいよねって話はよくするんですけど。実際人も少なくなっていますし。でも先に繋げられることはなんとかここでやっていきたいと思いますね。同世代の息子が後を継いで若返りしているお店もちらほらありますし。私たちがそうやってちゃんと仕事をしていれば、芦野はいい町として続いていくと思います。